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ペーペーの新参者、山田太郎元参議院議員を軸に【表現の自由】を守るための方法を考える

2016年1月に山田太郎氏を知って【表現の自由】を守ることに目覚めたペーペーの新参者「てづくり村絵本づくり部部長」が、山田太郎元参議院議員への応援を軸にしながら、日本国憲法第21条で保証されている【表現の自由】を守るためのメモを、なるべく簡潔を目指して試行錯誤しながら記していきます。

個人的な、映画「君の名は。」の時間が経ってからの感想と、アニメーションの、「表現」としての可能性まで。

4日前に見た、アニメーション映画 「君の名は。」 が胸から離れません。
 
(ぼくが)女の子が髪をアップしてるのが好きなもので、
その上、おしゃれな髪結いの方法だったので見惚れてしまっていたのと、
 
三葉が神社の神事をしているところで完全に心を掴まれました。
 
(ぼくが)中学の時に好きだった女の子が、「3年生を送る会」の劇で御神楽を踊っていた時の、
化粧をした時の(普段見られない)きれいさを認めざるを得ないと言うか。
中高生の女性は化粧をしなくても十分に美しいのに、そこに化粧をしても「等価で」美しいと言うか(普段見られないものを見てしまった心の在り様)。

中学校時代の恋愛は長らく黒歴史だったのですが、
テレビアニメーション氷菓」でも水梨神社の行事「生きびな祭」で、
メインのお雛様役をやっていた「千反田える」のごとく、あのスイッチが入るとどうも(その時間だけ)恋に落ちるようです。
 
心は約30年前までさかのぼっていたのでしょう。
ぼくは、すべての学生生活を敢えて否定して黒歴史化することで、
今、現在の
(「立体造形」に始まり、「ひきだし絵本」「絵本」「手芸(主に着せ替え人形)」)
あらゆる作品への創作意欲を掻き立ててきたので、
こんなに過去の自分を半ば肯定するような羽目になるとは思ってもいませんでした。
 
それだけ作品の質が良かったからだと言う事だと思っています。
ジブリ作品からは感じたことの無い感動でした。
ひとつひとつこまかいところを表現出来ない語彙力が恨めしいのですが、
かといって言葉で表わしてしまいたくない何かがあったのは確かです。
 
ただ言える事は、
「この作品は2次元じゃない。2.5次元の出来だ。」
と。
アニメーションでありながら、どこか現実的な感覚も伴っているな、と。
それでいて、ファンタジーだな、と。
いろんな見え方が「ない混ぜ」になって、それがとても楽しかった。
 
ぼくのようなもうすぐアラフィフになろうとするおたく本格派世代じゃなくて、
是非、10代、20代の方々に見て欲しいと、支持をして欲しいと、願うような気持ちがありました。
 
昨年の夏の終わりから始まったロング・ランもさすがに最後の頃になり、
本当にギリギリで行っておいて良かった、としか。
 
ぼくはアニメーションは日本の誇るべき文化だと思っております。
日本古来からの職人気質によるこだわりの仕事、
それにデジタル化などの技術革新が上手く融合して、近年の質の良い、
映画上映にも耐えられるほどの高品質な文化になったと思っています。
 
一方、その職人文化の悪しき伝統から、
半人前のアニメーターは食うにも困る生活を送っています。
昔の日本で職人制度が成立し得たのは、給金はやらなくても「(最低限の)衣食住」は親分が与えていたからで、
現在の雇用関係だと「衣食住」の保障がありえないといっても過言ではない状況で、
アニメーションを「職人技」として未来に託すのはいささか親分側の驕りが見えます。
現在は「拘束時間に対し正当な報酬を支払う」ことが機能しなければ、
「職人のタマゴたち」は、その職をあきらめざるを得ないでしょう。
そうしたら本末転倒。せっかくここまで育ったアニメーション文化も廃れてしまいます。
 
ぼくは今まで見たアニメーションの中で「君の名は。」は最高だった、と感じているところですが、
「表現の世界」に少なからず身を置く者として、
上記の理由から、なんとかこの「君の名は。」が通過点であって欲しい、と願わざるを得ません。
瀧と三葉、その好ましい仲間たちの物語を超える作品に出会いたく無いなぁ、というジレンマを抱えながら。
   
   
     
もし次の土日にワンチャンあるようなら、もう1回見てきます。1,800円払う価値、あります。